夢のほとり作品概要
大阪芸術大学 映像学科卒業制作作品
監督/脚本 友野祐介
第5回JCF映画祭入選。
その後、東京、大阪で一般公開。
一般公開時には、
様々なクリエイターからのコメントが届く。
夢のほとり - 各界クリエイターからのコメント
新入社員が社長に聞く!
― 社長!
なんで入社早々、社長の昔話なんて聞かなきゃいけないんですか!
こんなのパワハラですよ!
友野:
入社早々なんだからそれぐらい聞けよ。
あと、ちょっとしたきっかけがあったんだよ。
― あれでしょ、
友野さんの大阪芸大の恩師が定年して、っていう。
友野:
そう、それでこの4月から
京都の玩具映画ミュージアムの館長に就任されて。
そこで大阪芸大映像学科の卒業制作を上映したいって
お声がかかってだな。
― 山下敦弘監督とか石井裕也監督の作品ならともかく、
友野さんのまでかけるなんて、
よっぽど上映するものがないんですかね。
友野:
うるせえな、これでも一応
学生映画賞取ってんだぞ。
一般上映もされたし。
― なんか、すごい人たちからコメントももらったんでしょ。
友野:
まあな。感謝はもちろんだけど
この方々の無力な学生を応援してやろうっていう
気概にこそ、長く第一線でやられているクリエイターの凄みを感じたよ。
― でも、そのために僕が
20年近く前の自主映画に字幕付けさせられて…
こんな事するために、この会社に入った訳じゃないんですけど。
友野:
うるせえな。
それも立派な仕事だろうが。
それに今なら字幕なんて
パソコンで簡単につけられるだろ。
― ああ、友野さんの学生時代には
パソコンとかなかったから…
友野:
いや、あったよ!
音が悪いから字幕つけたらってのも言われてた。
― ほとんどセリフ、聞き取れないですもんね。
友野:
まあ、技術の無さが一番出たんだな、音に。
― まあ、なまじ撮影は後に「万引き家族」のを手掛ける
近藤龍人さんだったりするだけに、余計ね。
友野:
あと、当時は字幕をつけるにしても
これ、フィルムだから
IMAGICAにオプチ頼んで一文字いくらとか…
学生にそんな金あるかってんだ。
― ていうかなんでこんなちゃんとした人が
友野さんの映画を手伝ってくれたんです?
友野:
なんでだろうね…
聞いた話だと最初は断るつもりだったけど
ホンわたしたら一応読んでくれて。
それでいつの間にかそういう流れに。
― 友達がいなくて誰も手伝ってくれる人がいないから
かわいそうになったんですかね。
友野:
知り合いは大勢いたんだけどな。
たしかに一緒の班になってくれる人は
誰もいなかったな。
― 人間性の問題なんでしょうね。
わかります。
そもそも、近藤さんとはどこで知り合いに?
友野:
大学院の先輩の映画を手伝いに行ったら、
そこのカメラマンをされてて。
すでに彼らは学内じゃ伝説的な存在だったからね。
とにかくその仕事を近くで見ておこうと現場に入って。
そこで照明の助手とかさせてもらって、
っていうのが最初だな。
― 照明の助手…。
友野さんはその時点でなんか
照明の経験とか知見があったんですか?
友野:
そんなのある訳ないだろ。
ただの人手不足だよ。
周りはもうみんな自分の制作を始めてる時期だったし。
― ああ、友野さんは友達もいなくて
やることもなかったから…
友野:
まあな。
だからそこでダメ元で頼んでみたら
まさかのOKっていう。
― 結果オーライですね。
友野:
断るつもりでホンを読んだら
「なんか変わったことしようとしてるな」ぐらいには
思ってくれたのかもな。
― 変わったこと?
友野:
当時、学内に初の
本格的なセットを組めるスタジオができたばっかりで。
それを使い倒してやろうっていうのと、
あとは水中撮影だな。
― ああ、技術的に試せることが
近藤さん的にもあったと。
友野:
まあ、そんな面倒なこと
誰もやろうと思ってなかったみたいで。
で、やってみたらやっぱり面倒どころか
結構大変で。
― 当時からすでに
その手の面倒くささがあったんですね。
友野:
まあ、「客が見たことのないものを見せる」ってのが
映画の基本だからな。
基本に忠実だっただけだよ。
― なんか社名の由来のときにも
似たようなこと言ってましたよね。
友野:
そうだな。
基本は大事だよ。
友野の商業映画初監督作品「プライスタグ」